前回はカリフォルニアで私達が体験した手続きを時系列順にまとめました。(アメリカで養子縁組をする その1)そしてノースカロライナに引越して、現在別の斡旋所と新たに手続きを始めたので、これからはそのつど現在進行形で記録したいと思います。
今日は養子縁組&フォスターペアレンツ(里親)の斡旋所のソーシャルワーカーとの面接に行ってきました。夫が事前に電話で問い合わせて、簡単にこれまでの経緯を伝えたところで面接の日程を決めてありました。
朝いつもと同じような普段着(Tシャツにジーンズ)で出かけようとしたところ、夫を見たらちょっとだけ上等な服を着ていました。「え?ドレスアップするの?」と聞いたら「その方が良い印象を与えられるんじゃない?」と言うのです。私はそんなこと考えていなかったけれどそれもそうだと思い、オフィスカジュアル程度の服に着替えました。そしてアンディ達にご飯をあげ散歩に連れて行って、車に乗り斡旋所に向かいました。
実は今回の斡旋所は、プライベートの所なのです。と言っても郡から薦められた斡旋所で、基本無料。そしてここでは主に必要な書類の提出と、トレーニングクラスに出席し証明書をもらうだけです。以前カリフォルニアでしたステージ1のみここでまかなわれているのかなという感じです。そしてその書類をノースカロライナ州に提出して、里親としての許可がおりたら別の斡旋所で子供を紹介してもらう形になります。イメージ的には、カリフォルニアでは郡で全てをしていたところがノースカロライナでは色々な団体に分かれている感じでしょうか。
私達の住んでいる市からその斡旋所までは車で1時間半。何にもない田舎を通り過ぎます。道路脇に、ポツリポツリと建つ古い家たち。その周りには畑や、芝生の土地が広がっているだけです。途中お菓子の家を発見。もちろん本物のお菓子じゃなくて、お菓子の絵が描いてペイントされてある板が壁じゅうに張ってあったりとデコレーションがすごかったです。まだクリスマスの飾りも庭にたくさんあったし、一年中あのままなんでしょうか。田舎にはこういうびっくりする家がたまにあります。
長いドライブを終えて、斡旋所に着きました。迎えてくれた女性はとても感じが良く、最初にどんな流れで養子縁組が進むか軽く説明されて、その後はたくさん質問されました。下に質問された事項をまとめてみます。
- 養子縁組をする理由
- 子供の希望(年齢、人種、人数、病気など)
- 子供の教育方針
- 不妊治療で何をしたか
- アルコール、タバコの有無
- 両親の名前、年齢、職業、最終学歴
- 自分の学歴、職業
- どこで出会ったか
- 何が決めてで付き合いだしたのか
- いつ結婚したのか
- 喧嘩をした時の仲直り方法
- 夫婦の趣味
- 今までで一番困難だったことは
- 問題/困難に出会った時の乗り越える方法
- どのように育てられたか
子供の希望年齢は2歳までと言ったところ、「もう少し年齢を上げられますか?6歳までぐらいにしておけば、もし2歳と5歳の兄弟がいた場合連絡がくるけれど、2歳までにしておくとはじかれていまうんですが。」と言われたので、私たちの場合兄弟で養子縁組することも考えていたのでそのようにしました。年齢が上がるにつれて関係を築くのが難しくなるとは思うけど、その子供が施設にこなければいけなかった経緯とか、病気や私達との相性なんかもあるから、一概に年齢だけでは決められないわけで。だけど、子供達が施設に来る経緯を聞いたら、「母親が病院で生んで、育てられないからと病院から連絡がある、というのはまれなケースです。だいたいが、家庭になんらかの事情があって育てられないとか、福祉が育てられないと判断したケースです。」と言われました。家庭の事情とは、ネグレクトとか、お金がないとか、虐待とか。親が薬を止められないとか、逮捕されたとか。そういった心に傷を抱えた子供たちなので、何人でも何歳でもとも言えないではあります。
そしてオプションとして、待ち時間の順番を優先してくれたり、希望が通りやすいプログラムもあると説明されました。それが2種類あって、4,000ドルのものと15,000ドルのもの。4,000ドルぐらいだったら、悪くないなぁと夫と帰り道話しました。15,000ドルだって、平均の30,000ドルと比べたらずっと安いではありますが。
それと、カリフォルニアで終わらせた子供のトラウマについて学ぶクラスがもしかしたら適応されるかもしれないそうなので、そしたら手続きが早く進みそうです。次回第二回目の面接までに、警察でフィンガープリントを終わらせて用紙を持参することになっています。とりあえず最初の手続きが無事終わって良かった!
↓アメリカで養子縁組の記録↓
アメリカで養子縁組をする その1
アメリカで養子縁組をする その2 始めての面接
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