30代の友人関係で気づいたこと

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「Welcome to Virginia!」バージニアに住む友人に会うために車を走らせていたら、突然そんな声が耳に飛び込んで来た。


なんだ、今の声は?どこから聞こえて来たんだろう?そう思って、目の前のモニターに目を落とす。画面には地図が表示されていて、車が前に進むと同時にゆっくりと青いアイコンが進んでいく。おかしいな、このGPS(ナビ)は使ってないのに。その声がスマートフォンのグーグルのGPSと同じ声だった事に気づくのに少し時間がかかった。ああ、グーグルGPSの声だ!へぇ、今では州をまたぐとそんな風にしゃべるんだなぁ。そして目の前に広がる景色が、なんだか少しだけノースカロライナと違うような気がして、初めてバージニア州に来たという興奮が押し寄せてきたのだった。


5年前ジョージアとフロリダの境に住んでいた時、フロリダに住む日本人の友人がいた。別の友人達を介して知り合った彼女に、当時集めていたファイヤーキングの食器の話をしたらとても興味を持ってくれて、それからふたりで、たくさんのアンティークモールやフリマを見て回る旅をした。お宝を見つけては一緒に興奮して、「アンティーキングがあれば、アメリカ中どこへ行っても楽しめるね!」なんて話をしていた。


そしてお互い引越し、今回5年ぶりに会うことになった。指定された教会の駐車場に車を止めて、彼女を待つ。少しして車が入ってくる音が聞こえ、振り返ると見覚えのある白い大きな車が入ってきた所だった。久しぶりに再開した彼女はまったく変わっておらず、大きな声で私の名前を呼びながら笑顔で車から降りてきた。5年も経っているのに、不思議と懐かしいという感情がわかない。むしろついこの前も会ったかのように自然に会話が弾む。


教会で用を済ませ、昔のようにアンティークモールまわりをする事にした。ふたりとももう欲しいものなんてないのに、ふたりであの頃と同じワクワクを懐かしみたかった。私はすぐに、当時彼女が気に入っていたキャンベルスープの古い雑貨を探す。好みが大体わかっているので、いつもお互い「好きそうなもの見つけたよ、こっちこっち!」と、ついつい相手のものまで探してしまう。そしであーでもないこーでもないとその品物を評価しあうのが楽しかった。そしてそれは、5年経った今でも相変わらず楽しかった。


この5年間にそれぞれ大変なこともあった。私は子供に恵まれない悲しみ。彼女は子供の病気で本当に辛い時期を過ごしていた。そんな中、彼女はクリスチャンになった。

彼女がクリスチャンになるのは彼女の自由だ、とわかっていながらも、話が神様の話になるとどうしても受け入れられない気持ちが出てきた。神様を知らない(信じられない)自分が否定されている気分にもなった。


なぜ否定された気持ちになるんだろう?それは日本に生まれ育ち、普段宗教について考えることはなくても自然と考え方や習慣が仏教に根付いているからではないか?日本を、そして自分自身を否定された気持ちになるからではないか?


だけど、彼女は仏教を否定してもいないし、私をとても尊重してくれているのがわかる。本当に素直で、まじめで、ユーモアがあって、純粋な人なのだ。彼女はクリスチャンの人たちに出会い、救われて、新しい道を切り開いた。


私はそのまま受け入れられずひねくれた考えをした自分を反省した。自分の勝手なものさしだけで物事を考えた事を反省した。新しい道を進んでいる彼女をちょっぴりうらやましいとも思った。そして、自分で考えて困難を乗り越えようと前に進んでいる友人が、やっぱり好きだと思った。


30代にもなると、友人関係は学生の頃とは違う。結婚や出産、離婚、介護、病気、キャリアなど置かれている状況がまったく一緒という人は中々いない。だけどそれよりも考え方が似ているというのは重要かもしれない。彼女と過ごして、楽しいだけじゃなく、お互い前向きに頑張っていてお互いの存在が支えになれる友人というのは良いなぁと、改めて思った。

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